2018年09月23日

「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1

皆さんに報告忘れておりました、行政視察報告をしたいと思います。

今回は改めて、来たるべく南海トラフ地震に備え、東日本大震災の被災地から

学ばせていただこうという視察に決定しました。

ご報告が遅くなりまして、本当に申し訳なく思います。



会派「清風会」宮城・岩手方面行政視察

8月20日(月)

JR詫間駅 8時6分 → しおかぜ6号 → JR岡山駅 → 新幹線のぞみ8号

→ 新大阪駅 10時03分到着 → ジャンボタクシーにて大阪空港 →

大阪空港 11時35分発 → JAL2205便(機内にて大阪空港で買ったお弁当

で各自昼食) → 仙台空港 13時10分到着 → ジャンボタクシーにて岩沼市

●宮城県岩沼市
「岩沼市千年希望の丘交流センター」 13時10分~13時50分

●宮城県岩沼市
宮城県岩沼市は、宮城県の南部の太平洋沿岸、阿武隈川河口の北岸に位置
する都市である。人口は44,600人。市の面積は60.45㎢である。
宮城県の南東部に位置し、太平洋に面する。西側は丘陵地帯であり、東側は
平坦な沖積平野である。
南側の亘理町との境には阿武隈川が流れていて、仙台空港の東南海側という
地域である。

◎所感
岩沼市内での死者数は181人、行方不明者1名という被害であった。
仙台空港ターミナルビルは海岸から約1.4㌔の距離にあり、貞山堀*が海岸
から約1㌔の距離で海岸と並行している。
岩沼市で壊滅状態となったエリアは、まさに空港ビルとほぼ同じ、海から約1.5
㌔以内の地域であった。
空港周辺には臨空工業団地と二の倉工業団地があるが、立地している企業約
230社の大半が被害に遭っている。
特に、貞山掘の海側に立地していた二の倉地域は壊滅状態となった。

*貞山堀とは、戦国武将・伊達政宗公の時代から掘り始められ、約280年を
 かけて整備された日本最長の運河である。
 貞山とは政宗公のおくりな(死後の称号)である。

ここでは東日本大震災から復興のシンボルとして「千年希望の丘」が作られて
いて、岩沼市千年希望の丘交流センターを見学させていただいた。
この丘は東日本大震災により発生したがれき(震災廃棄物)から再生した資材
を活用して作られ、最大のもので標高11mである。
2017年3月時点で全長10㌔の海岸沿いに計15基の丘が整備されていた。
それぞれの丘は園路(緑の堤防)で結ばれ、津波の力を減らし、避難場所にも
なる。
園路には世界中から人々が植樹に訪れていて、2017年までに30万本の木が
植えられていた。園路の高さは3mあり、成長した木々が防潮林となっている。
また東日本大震災では物理的に防御できない津波の存在を知った事で、この
津波の被害を最小限に食い止めることを第一に、岩沼市は災害の被害を減らす
「減災」という考えのもと、「多重防御」による津波対策を導入していた。

(多重防御の仕組み)
防御①防潮堤(標高7.2m)
防御②千年希望の丘(標高9~11m)と園路(標高3m)
防御③貞山堀の護岸(標高3.7m)
防御④かさ上げ道路(標高4~5m)

4つの防御で、津波から逃げるための時間の余裕をつくり、さらに沿岸から内陸
へ向かう避難道路を複数整備して多くの人が同時に逃げられる手段を用意して
いた。
千年希望の丘はこうした多重防御の中心となる場所であり、今回の東日本大震
災を教訓に地震が発生した後にやってくる津波の予測は可能であり、多重防御
のもと、改めて震災や津波の怖さと、行政主導での復興の取り組みを勉強する
事ができ、とても良かったと思う。


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


→ ジャンボタクシーにて移動 約20分

●宮城県名取市
「閖上地区復興状況現地視察」 14時10分~15時40分

●宮城県名取市
宮城県名取市(なとりし)は、宮城県の中央南部の太平洋沿岸に位置する都市
である。仙台市の南東に隣接しており、市内には仙台空港がある。
人口は78,000人。市の面積は98.17㎢である。
宮城県の南部に位置し、太平洋に面する。市の西部は陸前丘陵の一部を成す
高舘丘陵、東部は仙台平野(名取平野)である。北に接する仙台市との境に
名取川が流れ、河口部の閖上に閖上港がある。
また、東北自動車道、国道4号線、東北新幹線、東北本線が縦貫している。
市の中心部は愛島丘陵北側の名取駅周辺に広がっている。

◎所感
この名取市は東日本大震災の津波被害が甚大で、市内で911人の方が亡く
なっていた。
とりわけ、名取川河口の閖上(ゆりあげ)地区は、宮城県海沿いでは唯一の市
街化地域であり、住宅密集地であったことから、特に多くの方が被害に逢い、
3.11当日NHKの空からの映像に映しだされたこの地域は、津波により一瞬に
して多くの家が流され、町が流出し、壊滅的な被害を受けた。
震災当時に在宅していたのは4,000名弱で、そのうち津波による犠牲者は
800名近くにのぼり、実に6人に1人が犠牲になっていて、この数は他の被災
地域と比べても突出している。

震災が風化していく中、閖上震災を考える会の格井直光様をガイドに、震災
被害を直接、伝えていただき、将来、どこかで起き得る災害の被害を少しでも
小さくし、犠牲者を一人でも少なくするために重要なお話しをしていただいた。
まだまだ復興が遠く、震災の爪あとが残っている中で、実際に現地を訪れる
ことにより、震災の被害の大きさを体験できたことはとても参考になった。
特に、会派全員で購入させていただいた「閖上震災を伝える会の写真集vol.3」
は、被害の大きさを写真で物語っていて、考えさせられる事が多々あった。
ここでは二点、重要な事が勉強になったと考える。

一点目は命を守る基本として、
水害の場合の危険な状況をつくらないために「命を守る基本」としての教訓
①土砂災害が発生しやすいところには、住まない。
②浸水したら、移動しない。見に行かない。
③行政からの情報を待たずに、気象情報などから判断して、早めに非難を
 はじめる。
「自分は大丈夫」「本当に津波はくるのかなあ」「ここは大丈夫だ」といった考えは、
絶対に持たないこと。私たちの反省をあなたの防災や減災に生かしてください。
(写真集より)
この文章と言いますか、説明は本当に身に染みるものがあった。

二点目は、日和山の閖上湊神社で説明を受けたのだが、昭和8年3月3日の
深夜に、この地域に大津波が押し寄せ、「昭和三陸地震津波」があった。
日和山にはそのときの教訓を刻む石碑が設置されていて、80年以上に渡って
閖上を見守り続けてきたが、その存在は時とともに忘れられ、震災前に石碑を
知る人がほとんどいたかったという事実である。

先人たちは「地震があったら津波の用心」と刻んでいたが、東日本大震災では
その戒めを受け継ぐことができず、過去の教訓がいかせなかったという点、
石碑からの叫びをいかせなかった事が悔やまれるし、とても考えさせられた。

最後に閖上震災を伝える会の格井直光様には多くの話をいただき、現地説明
やビデオなども見せていただいた。
来たるべき南海トラフ地震への防災・減災活動へ繋げるべく、防災意識を啓発
していきたいと思った。


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


最後に・・・
東日本大震災の被災者の方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます
地震により被災にあわれた方々に心よりお見舞いを申し上げるとともに、
亡くなられた方やそのご家族にはお悔やみを申し上げます。
また、一日も早く復旧を果たされることをお祈りすると同時に、被災された皆様
が平穏な日々を取り戻せるよう お祈り申し上げます。

→ ジャンボタクシーにて移動 約1時間 → 仙台市内のビジネスホテルに到着

仙台駅を素通りする事はあるんですが、私自身、初めて仙台市内で宿泊しました。

(感想は・・・杜の都「仙台市」は、大都会でしたオドロキ。)


「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1


二日目へ続く・・・。


同じカテゴリー(視察研修)の記事画像
宮城県石巻市(研修報告その1)
宮城県石巻市(研修報告その2)
宮城県石巻市へ
東京へセミナー
東京出張へ
北九州からの富山市へ
同じカテゴリー(視察研修)の記事
 宮城県石巻市(研修報告その1) (2024-04-23 08:05)
 宮城県石巻市(研修報告その2) (2024-04-23 08:05)
 宮城県石巻市へ (2024-04-22 08:39)
 東京へセミナー (2024-02-29 07:57)
 東京出張へ (2024-01-24 08:02)
 北九州からの富山市へ (2023-10-29 09:34)

Posted by はまぐちふどうさん at 08:56│Comments(0)視察研修
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
「清風会」宮城・岩手方面行政視察その1
    コメント(0)