2013年01月29日
松崎小学校PTA
昨日は、松崎小学校の授業参観・人権講演会並びに学級PTAへ。
授業参観の後、人権講演会
「子どもが幸せな明日を拓き、いのち輝かせるために」
元観音寺市立豊浜小学校長 大山 正子氏
始まる前に校長室でお話しを聞いた・・・。
この方もすぐに・・・昔は情熱あふれる先生だったんだろうなあ~とわかった。

講演会の内容
はじめに
・「幸せな明日を拓く力」とは・・・自分で自分を切りひらくこと→拓く
新しい命と対面したあの日の祈りや願い
・「いのち輝く生き方」とは
社会の中に確かに位置づき、人として共に生きること
「人としてのあり方、生き方の「ものさし(基準)・知恵・術」を育てる責任」
1 「いのちの灯」と向き合った9年間の我が子との日々の中で
ご自身の3人目の息子さんが難病であり、長く生きられないと言われたが、
兵庫医大で完治するまでの9年間、教職をしながら、週末にはフェリーで
会いに行き、いのちの灯と向き合った過去の経験から。
2 「自分を(で)生きる」を教えてくれたY君の振り払った手
3 今も聞こえる「母さんの応援歌」(虹の橋)を一緒に追いかけた遠い日の思い出
4 今一度、原点に立ち返り、「子どもが自分で拓く明日の幸せ」づくりを考える
おわりに
人間はたった一人では生きられない存在である。
子ども達の豊かな人生づくりの最初のステージは、家庭にそして、私たち大人に
委ねられて・・・。その責任は重い!!
時に「新しい命」と対面したあの日のあの感激を思い起こして・・・。
いろいろ考えさせられることがありました・・・。
今の体罰やいじめの問題。
これ恩師言いますか、先生との出会いも重要なのです。
わたしの小・中学時代の恩師・・・2年前に1人亡くなりましたが、残りの恩師とは
つきあいがあります。今でも会えば「頑張ってるなあ~」と褒めてくれます。
わたし、小・中学時代は、本当に情熱溢れる恩師に恵まれた環境だったと思いますし、
大山先生もそうであっただろうと推測できました・・・。
・人間は支えあって生きることを子供に気付かせよう。
・父親の愛情、母親の愛情を注ぎ、温かい交流の場をもとう。
もちろん現在社会においては環境も違うのだけれども、言おうとしていることは
当たり前のことばかり。ただその当たり前ができない時代なのは確か。
「忙しい」を理由に子どもにかまってやれない自分を反省した・・・。
やはり最後はオヤジのことを思い出しました
・・・。
交通事故で一瞬で亡くなった父・・・誰よりもわたしの味方であり、大切に育ててくれた
はずなのに、仕事でも意見の対立でケンカばかりしてた・・・。
「今日はようけ仕事できたの~」
「そうやなあ~。ほな先帰るで!」
わたしが帰った後、事故に遭い、それが最後に交わした言葉でした・・・。
そんなケンカする相手も今はいません・・・。
それゆえ今のわたしは自分で考え、選択し、自分で切り拓くことばかり。
それでも今のわたしには、大勢の支えてくれる方々がいますから頑張れます!
(それは同級生であり、先輩であり、御縁で繋がった人であり・・・。)
それを実感できる良い講演会でありました・・・感謝です、合掌。
授業参観の後、人権講演会
「子どもが幸せな明日を拓き、いのち輝かせるために」
元観音寺市立豊浜小学校長 大山 正子氏
始まる前に校長室でお話しを聞いた・・・。
この方もすぐに・・・昔は情熱あふれる先生だったんだろうなあ~とわかった。
講演会の内容
はじめに
・「幸せな明日を拓く力」とは・・・自分で自分を切りひらくこと→拓く
新しい命と対面したあの日の祈りや願い
・「いのち輝く生き方」とは
社会の中に確かに位置づき、人として共に生きること
「人としてのあり方、生き方の「ものさし(基準)・知恵・術」を育てる責任」
1 「いのちの灯」と向き合った9年間の我が子との日々の中で
ご自身の3人目の息子さんが難病であり、長く生きられないと言われたが、
兵庫医大で完治するまでの9年間、教職をしながら、週末にはフェリーで
会いに行き、いのちの灯と向き合った過去の経験から。
2 「自分を(で)生きる」を教えてくれたY君の振り払った手
3 今も聞こえる「母さんの応援歌」(虹の橋)を一緒に追いかけた遠い日の思い出
4 今一度、原点に立ち返り、「子どもが自分で拓く明日の幸せ」づくりを考える
おわりに
人間はたった一人では生きられない存在である。
子ども達の豊かな人生づくりの最初のステージは、家庭にそして、私たち大人に
委ねられて・・・。その責任は重い!!
時に「新しい命」と対面したあの日のあの感激を思い起こして・・・。
いろいろ考えさせられることがありました・・・。
今の体罰やいじめの問題。
これ恩師言いますか、先生との出会いも重要なのです。
わたしの小・中学時代の恩師・・・2年前に1人亡くなりましたが、残りの恩師とは
つきあいがあります。今でも会えば「頑張ってるなあ~」と褒めてくれます。
わたし、小・中学時代は、本当に情熱溢れる恩師に恵まれた環境だったと思いますし、
大山先生もそうであっただろうと推測できました・・・。
・人間は支えあって生きることを子供に気付かせよう。
・父親の愛情、母親の愛情を注ぎ、温かい交流の場をもとう。
もちろん現在社会においては環境も違うのだけれども、言おうとしていることは
当たり前のことばかり。ただその当たり前ができない時代なのは確か。
「忙しい」を理由に子どもにかまってやれない自分を反省した・・・。
やはり最後はオヤジのことを思い出しました

交通事故で一瞬で亡くなった父・・・誰よりもわたしの味方であり、大切に育ててくれた
はずなのに、仕事でも意見の対立でケンカばかりしてた・・・。
「今日はようけ仕事できたの~」
「そうやなあ~。ほな先帰るで!」
わたしが帰った後、事故に遭い、それが最後に交わした言葉でした・・・。
そんなケンカする相手も今はいません・・・。
それゆえ今のわたしは自分で考え、選択し、自分で切り拓くことばかり。
それでも今のわたしには、大勢の支えてくれる方々がいますから頑張れます!
(それは同級生であり、先輩であり、御縁で繋がった人であり・・・。)
それを実感できる良い講演会でありました・・・感謝です、合掌。